FF14のFC運営をひたすら考えるブログ

FCマスターはこんなことを考えている

しおんず
しおんず

しおんずです。

先日、FC/LSマスターに向けた素晴らしいロドスト日記が「注目の日記」として紹介されておりました。当サイトでも是非扱いたいテーマでもあったため、どのようにまとめようか…と思案していた所に拝見しまして。

端的に申し上げるならば「1万字で良くまとめきったなぁ」と、ただただ感服しました。

今回はそちらの日記を引用させて頂きつつ、「FCマスターは普段どういうことを考えているのか」ということについて考察していきます。

出来れば、是非とも下記2つの日記をご参照の上読み進めて頂くことをおススメします!

Ellis Dernier様:「全ての悩めるFC/LSマスターの皆様へ(超長文です)」(クリックorタップでリンクが開きます)

Qupo pon様:「FCの脱退について考えさせられた。」(クリックorタップでリンクが開きます)

FCマスターは「公園の管理者である」という考え方

早速ですが、ガッツリ引用させて頂きます。

中には例外があるのかもしれませんが、通常は、FCやCWLSって、メンバーさんは何か対価を支払うことなく参加が出来ますし、イベント参加強制もない、というのがほとんどだと思います。つまり、ノーコストで利用できるコミュニケーションの場を、マスターに提供してもらっているわけですよね。決して恩着せがましいことを言っているわけでは、ありません。”公園”があって、そこに集まる人たちと交流できる、というイメージです。そしてその公園というのはマスターの家の庭、という風に考えてみるといかがでしょう。

Eliis Dernier様日記より引用

なるほどFCを「公園」と評し、マスターを「公園の管理者 兼 所有者」と考える、というのは、僕にとって目から鱗の表現でございました。続けて、「公園の管理者から遊び方を指定されるのは腑に落ちない人もいるでしょう」といった旨の表現もございましたが、非常に巧みな例えだと感心しました。僕には絶対に書けない文章ですw

このサイトでも折に触れて述べてきましたが、「どこのFCもやれること自体にそんなに差はない」という前提で考えると、「公園の遊具」(=他との差別化)は

・所有しているハウスのサイズ
・メインにしているコンテンツ

程度のもので、やはりFCの活気はそこに集う人次第であるな、と感じています。

そして、「管理者」というスタンスでマスターを捉えた時に、同じく見えてくる結論がこちら。

これまでこうしたことを多少は感じながら運営をしてきたのですが、最近では、少々考えを変えることができつつあるのではないかな・・・と思います。要は、『そんなにFC/LSを盛り上げる必要はない』ということです。

これは、メンバーと対話をしていて、気づかされたことでもあります。実際、メンバーの方々は、全員が全員、活気あふれるコミュニティを求めているわけではありません。むしろ、ずっとソロでやってきたけど、誰かとのつながりを僅かでも感じていたい、そういうようなプレイヤーも多くいます。つながることの安心感。これを提供できること、これこそが、マスターに出来ることなのではないかと考えるようになりました。

Eliis Dernier様日記より引用

「公園で何をして遊ぶか」公園で遊ぶ人達が決めればいい、というシンプルな考え方です。
そしてマスターはその「居場所」を守る・提供することが務めだ、という主張ですね。

例えば、「近所にある、昔からお世話になってきた公園が無くなった時の寂しさ」を思うと、それを守ろうとしている管理人(=マスターさん)の気持ちが凄く分かるのではないでしょうか?

公園で遊ぶ子供たちを見守るFCメンバー(違います)

FCマスターの9割は「理想のFC像」を持っている

ところで、ルールがガッチガチに決まっているFCさんに対して、比較的モヤモヤを感じてしまうタイプのマスターである僕なのですが…w
実のところ、ルールが「誰のためにあるのか」を考えて設定すべきなのではないかな、と常々思っています。これは正直言って、マスターさんの責任が大きい部分だと思っています。

ソロFCさんを含む、FCマスターさんの9割は「FCをこう利用したい」という理想像を持っています。持ってない人はFC作ろうと思わないので…

要するに、「理想のFC」が無いから自分で作るのです。

僕の場合、FCメンバー募集日記を眺めていて「何だか自分とこのFCの規模にしか拘っていないFCばっかりだな」「FC入った後に楽しくなさそうにしてる人多いな」と思ったのがきっかけで、「じゃあ自分で作ろう」という結論になったのですが、仮にFC:NOLが僕だけのソロFCになった時に、「2週間以上の不在は除名」とか「あいさつ必須」とか要るか?という話になるので、その辺のルールは設けておりません。

勿論これは「FC:NOL」の話であって、例えばフレンドリストの中に「データが見つかりません」という人が居た場合、その人が特定出来なければ整理させて頂いたりとかっていうのはありますw

そういう個人的な判断」と「集団としての判断」のどちらで設けたいルールなのか?というのを、FCマスターさんは考えるべきですし、考えていらっしゃるのが殆どかなと思っています。

もしもこの記事を見ている方がFCを新規に作ることを考えていて、そのFCが「継続的に人がログインしてきて常に活気がある状態」を作りたいと思っているのなら、

個人的な判断」は日ごろからメンバーにしっかりと伝えていくこと
集団としての判断」は段階的に・かつなるべく少なくすること、を覚えておくと良いかと思います。

過去記事でFCのパターン分析を行いましたが、どのタイプのFCマスターさんもほぼ間違いなく理想のイメージを持っているはずなので、より活気のあるコミュニティを目指すのであれば振り返ってみてはいかがでしょうか?

FCを「学級」や「クラス」として捉える考え方

さて、FCを「場所」として捉える考え方の他に、「人の集団」として捉える考え方、というのもあるようです。

FCがクラス替えであるというのは、一体どんな考えなのか説明しよう。皆さんも小中高生時代にクラス替えの経験があるだろう。仲の良い友達と別クラスになったり、好きだった異性と離れ離れになったり、でも新しい友達が出来たりで、なんだかんだワクワクする、毎年恒例のイベントだ。

クラスが新しくなると、新しいクラスで友達ができる。でも、クラス替えして離れてしまっても、付き合いが変わらない友達もいた。…(中略)

そして、自分だけじゃなく、仲の良かった友達も、新しいクラスで友達ができる。そこに自分も輪に混ざり、「友達の友達」と仲良くなったりした。クラスが一緒じゃなくても、仲良しなままな友達というのはいたものだ。

「だからFCもそんな場所であればいい、FCはただの飾りなのだ。」それがフレンドのララフェルさんの考えだ。FCに所属していても、他のFCに興味を持てば、遠慮なく脱退してもらって構わない。他FCに行けば、そこでも付き合いの長くなりそうな友達がきっとできる。もし戻りたくなったら、いつでも戻っておいで。そんなスタンスだと仰るのだ。

Qupo pon様日記より引用

これも非常に面白いですね。そこに集まる「人」にスポットが寄った考え方ですが、元々僕が抱いていた考え方と非常によく似ていて、凄くストンと腑に落ちる感触がありました。

FCをある程度固定化されたグループとして捉えつつも「変化があって好ましいもの」として受け入れやすい、絶妙な表現だと思います。

そしてこの「クラスや学級」というイメージで語るなら、解釈が広がってくる部分として

「じゃあ保健委員長とか図書委員長みたいなポジションの人もいて良いんじゃない?」

と思ったりもしています。(この辺のお話は「サブマスの存在意義」とか「FCメンバーの定着率」に関する記事でまた記事立てする予定です。)

うちのFCは学年によって色が違う仕様です(?)

FCマスターは基本的に「頼るのが苦手」

先にも述べましたが、FCマスターは「理想のFC像があるからFCを作った」ということが多く、言い換えれば「自分のエゴで出来た集団である」という認識が強い方が多いです。

故にこれがこじれると、「FCマスターとしてのあり方に悩むFCマスター」が誕生するわけですね。

ここで言う「頼る」というのは、特定の誰かや事案に対する働きかけのことではなく、「FCの雰囲気」という漠然とした仮想敵への戦いへ1人で挑んでしまうことを指します。

例えば「脱退者が多い」という問題が出たとして、「既存メンバーに、明確に素行の悪いプレイヤーがいる」というのであれば、その人に対する対策を取ればいいのですが…

新規メンバーがあまり積極的に発信してくれない」とか「誘われたら行くけど、自分から誘わないメンバーが多い」とか、「誰かが悪いわけではないけれど何か気になる」ということが、マスターになるとやたら目につくようになるんですよね。

これに「そんなことで悩んでいるのは自分だけかもしれない」という考えや、「これぐらいの内容なら自分が頑張ればどうにかなる」という考えが絡まって、ドツボにハマるマスターさんがたまにいらっしゃるように見受けられます。

フレンドリストやFCメンバーリストを眺めて、いつチャットを飛ばそうか、なんて悩んだり、メンバーのロドストをチェックして、どの辺のコンテンツを今頑張ってるのかな、とか詮索してみたり、あれやこれやとやってみるマスターさん、結構いるんじゃないでしょうかね?w

しかし、前述の「クラス」で例えるならば、FCマスターはあくまで「学級委員長ポジションにいる生徒の1人」であって「担任の先生」ではありません。どのメンバーさんもそれを理解しておくのが、円満な活動の秘訣なんじゃないかな、と僕は思います。

今うちのFCではマスターの僕が何でもかんでもやらずともいいように、色んな人にあれこれとお願いをしまくっているのですが、よほど希薄な理由で迎えたメンバーさんでない限り、大体のお願いには応えてくれるもんじゃないかなと個人的には思ってます。マスターと一緒で、「同じことをし続ける・させ続ける」のが負担・ストレスの原因と考えてますので、お願い事は期間を決める・人を替えるという個人的なルールの元に割り振っておりますがね…w

このゲーム、運営が提示してくれているだけでもとんでもない量の楽しみ方があるので、普通に考えればマスターがあれこれしなくても良いはずなんです。

人が集えば、自然発生的に何かが起こる。そういう仕組みだけ整えてしまえば、面白いことは勝手に集まってくると思っています。

フレンドさんのエタバンに呼ばれたFCメン達。僕だけ接点が無かったので呼ばれませんでした(何の話)

「孤独だ」と感じているFCマスターは、意外と多いみたいです

ときに、おかしな話なんですが…

人間って、集団の中にいるときの方が、「孤独だ」と感じることって多いんですけど、

「自分は孤独だ」と感じている…という旨のコメントを、「FCに馴染めていない人」だけじゃなく「FCマスター」も書いていることが多いんですよね(当サイト調べ)

もちろん、ベースになっている考え方・感じ方は違うんですが、同じ思いに辿り着くというのが、改めて考えると物凄く不思議です。

FCマスターさんも、よそのFCさんの募集日記を頻繁に覗きに行ったり、FCに関する思いをつづった日記に「いいね」を付けまくったり、悩んでいる人達同士で集まってみたり、色々やってるわけですよね。

冒頭のEllis様の日記引用にもありましたが、

「誰かとの繋がりを僅かでも感じていたい」
「つながることの安心感」

というのを「目に見える形にしたい」と一歩踏み出した人たちが、やがてFCマスターになっていくのかな、と感じます。この辺に、うちのサイトが見出した「FCという仕組みを考察する面白さ」を感じますねw

おわりに

当記事で紹介したことはほんの一部ですが、マスターというポジションを経験した人たちのリアルな声が集う、貴重な日記2つのご紹介を添えた記事更新でした。

ここまで読み進めて頂いた方々で引用元をお読みでない方は、是非とも冒頭のリンクからお読みくださいませ!お2人とも非常に真摯なご意見・コメント返信をされていますので、参考になること間違いなしです!

さて、今回はノウハウ的な部分についてはあまり踏み込めた感じはありませんが…個別の記事を建てられるよう、引き続き考察・更新を頑張って参ります!次の記事をお楽しみに!

それでは!
しおんず
  • MMORPG「FinalFantasy14」における「フリーカンパニー」の運営について考察しています。GaiaDC・ValeforサーバーのFC「光のお隣さん」マスターにして「光のお隣さん計画」発起人。FC所属を通して、FF14を息の長いコンテンツにしていくための情報を発信していきます!

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